帰りそびれたサンタ

「サンタさん、来なかった……」
「……コウジ……」
うつむいて呟く小さな背中に、かける言葉が無かった。
息子に気づかれないように小さくため息をついて、彼女は胸の中で夫『だった』男を罵った。
ーー『仕事』で徹夜だったなんて言い訳したら、ぶっ殺してやる!!
アパート二階の小さなベランダの外には、薄曇りの寒い空。

 

* * *

 

幼稚園に入った頃は、早生まれということでクラスでも一番小さく幼くて、みんなのやることに着いていくのが必死だったけれど、今年の春、小学校に入学してからは、もともとの明るい性格から、そこそこ楽しくやっているようだった。
その彼が、一ヶ月前。
『どうしたの!その傷!!』
泥だらけのランドセルを玄関先に投げた。
『なんでもない』
ほっぺたの擦り傷に血がにじんでいる。
『ええっ?!』
ズボンも上着も泥だらけ。
まさか……
『いじめられたの?』
胸の奥が、ずきん、と痛む。
ーー父親のことで……?
『違う。おれからやった、したら、やられた』
言葉少なく黄色い帽子を脱ぎながら、彼は玄関からトイレに向かう。
『やった、ってあんた……』
と、携帯電話が鳴り、
ーー田中先生!
担任からの電話。
『はい、はい、お世話になってます……今帰ってきました、はいすみません、……ええ、……はい……』

 

* * *

 

「とりあえず、ご飯食べよ。学校、遅れちゃうからさ」
「……」
無言でも、テーブルに座ってくれた。
母は少しほっとする。
彼はパンをひとくち齧り、もぞもぞと口を動かした。
わざと明るく、彼女は言う。
「今日は終業式だけだもんね!明日から冬休みー!!宿題タクサーン、大変デスネー!」
ホットミルクを、ひとくち飲んだ。

沈黙。

「……事情があったんだと思うんだ、サンタさん」
彼女が言うと、ちらっと、上目遣いでそっちを見る。
「事情?」
「うん……大体さ、約束に来ない人っていうのは止むに止まれぬ事情があるわけで」
「『やむにやまれぬ』って?」
「ええと、どうしても逃げられないっていうか……」
彼はハムエッグをフォークでぐさぐさと刺しながら、
「……一年で今日しか働かないのに、どうしても逃げられない事情ってなんだろうね。……ごちそうさま」
そのままかちゃりとフォークを置いて、トイレに向かった。

 

* * *

 

泥だらけのランドセルを投げてトイレにこもってから、30分経ったころ。
『コウジぃ、先生から電話来たよー』
ドアの外から話しかける。
『ミッ君の教科書を隠した友達に、怒ったんだって?そうなの?』
返事は無い。
『……理由は立派だけど、手ぇ出したらいかんなぁ』
ドアが少しだけ開いた。
『言ったよ、先生に。でも、おれしか見てなかったし、先生があいつらに聞いても「知らない」って……』
こちらを覗いた顔が、ゆがんだ。
『知らない、って言いながら、先生が後ろむいてるとき、ミッ君にあっかんべーしてんだよ!!ゆるせねえよ!!』
伏せた目から、涙が落ちた。
『おれ、強くなりたい……』

 

『……というわけでね、サンタさんへのお願いは、【腹筋台】だそうです』
夫だった男は電話の向こうで、プッと吹き出した。
『小学1年生のお願いとは思えない……強くなりたいから腹筋ね、かわいいなぁ』
『あんたが「ロッキー」ばっかり観せてるからでしょうが!!』
『男の子には大事よ、そーゆーの』
『あんたに言われても説得力1ミリもないわボケ』
『うーん、クリスマスイブはね、ショーが終わるの遅いから、行けるとしたら朝方になるかなぁ』
『なんとかして来なさい、私に腹筋台なんて運ばせたら腹筋付いちゃうじゃない』
『……宅配じゃダメ?』
『イブまで隠しておけるとこなんかないよ、ウチには。……あんた、そんな格好してたって中身は男なんだからね、私より力があ』
『はいはいはいはいわかりました、なんとかして行きますよーだ、カワイイ男のコのために♡』
『いやらしい言い方すんじゃねえよおおおぉぉ!!!』
『窓からいくよー、鍵は開けといてね』
『馬鹿、玄関から来い。ポストに鍵入れとくから』
『了解〜』

 

* * *

 

泣きそうなとき、彼がトイレに籠るようになったのは、いつからだろう。
彼女が夫の性的嗜好に気づき、悩んでいる頃、もっとお菓子が食べたいと泣く息子に、
「うるさい!!泣くな!口を閉じろ!!泣くならトイレで泣け!」
と喚いたことは、はっきりと覚えている。
その後、何度か似たような言葉を投げつけたことも。
ある時、息子の姿が見当たらなくて部屋の中を探しまわると、トイレの隅で、泣き疲れて眠ってしまっていた。三歳ぐらいだったろうか。彼女に抱えきれるだけの、小さな身体だった。

胸がぎゅっと締めつけられて、以来、どんなに腹が立っても、トイレで泣け、だけは言うのを避けてきた。

ーーもう充分、君は、強いのに。

「コウジぃ、あと10分で7時半だよー」
「……うん」
ドアを開けて出て来て、顔を洗い、鏡を見て、はー、と息を吐いた。
彼女はそれを背中に感じながら、生ゴミの袋の口を縛る。
「忘れ物、なーい?」
「うん」
少し元気が出たような声に振り向いて、
「今日、ガッコから帰ったら、腹筋台見に行こうか!あ、なんならダンベルもつけちゃう!!」
「ダンベルって何?」
「ほら、手に持って曲げたり伸ばしたりする……棒の両側に鉄の玉が付いてるの」
「ああ、あれか」
笑った。
「うん、帰り、寄り道しないようにするよ……行ってきまぁす」
「行ってらっしゃい!」
ハイタッチした彼が玄関ドアを開けると、
「遅くなってごめん!!!」
赤い服に白いつけ髭のサンタがそこにいた。

 

「……とうちゃん」
息子が目を丸くした。
「とうちゃんではない、サンタである。コウジくん、メリークリスマス」
「とうちゃんじゃん……!」
「何度も言うがとうちゃんではない、サンタである。はい、腹筋台。国道沿いのムラサカスポーツで一番いい奴買っといた」
「ムラサカスポーツで……」
「はいこれが保証書。1年以内に壊れたら、これと一緒に持っていきなさい」
大きな平べったい箱に入った腹筋台を、彼に手渡す。
「重いよとうちゃん……」
「重いかぁ、腹筋が足りないね」
しばらく黙って見つめていた母が、はっと部屋を振り返った。
「コウジ、まずい、時間!!」
「あっ!」
「それ、こっちに寄越しなさい!!いいよ、早く行け、行ってらっしゃい!!」
「うん!」
コウジはこぼれそうな笑顔を振りまいて、ぴょこぴょこ飛び跳ねた。
「とうちゃ……サンタさん!ありがとう!!」
「トナカイのそりで送ってあげようか?」
「道が混んでるから、いい!……行ってきます!!」
サンタに抱きつく。
「また遊ぼうね、とうちゃん」
「ああ、また遊ぼうね」
手を振って、走っていった。

見送る二人。
顔を見合わせて、
「……仕事が」
「ぶっころす」
「ゴメンなさい……」
「……とりあえずミニスカサンタじゃなくてよかったわ」
「当たり前でしょ」

隣の部屋の主婦がゴミ袋を片手に出て来た。
「おはよ……あらぁ」
目を丸くする。
「ご無沙汰してます……」
主婦は男の挨拶に微笑んでツッコミを入れる。
「サンタさん?ちょっと来るの遅いんじゃないの〜?」
男は頬を人差し指で掻きながら、
「ええ、すっかり帰りそびれてしまいましたね。……もう道路は渋滞してるしどうしたらいいかなぁ」
と、妻であった女の顔を覗き込む。
主婦があははと笑って、
「あらぁ、じゃあマコちゃん、お茶ぐらい出してあげなさいよ〜、サンタさん帰れないんだって」
ゴミ置き場の方へ歩いて消えた。

「もうっ。コーヒーしか無いわよ」
「ん、知ってる」
彼女は手で抑えている腹筋台を、顎でさした。
「運んで。組み立ても、よろしく」
「はぁい」

バタン、とドアが閉じられた。

 

 

(終) (初出2013-12-13)

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