2 ー マリア

その運命の日、あたしは屋台村からみんなと反対方向へ逃げてから、誰よりも早く教会の裏口をくぐったの。
教会なんておせっかいなところ、ほんとは行きたくなかった(ママは敬虔なクリスチャンだったけれど、あたしはごめんだわ)。
でも最近、街のあちこちが信用ならなくって、結局ここに頼らなきゃいけなくて。
ラウルもミゲルもジョゼも、「教会なんて、ただの小屋だろ」って、……まあ、そうっちゃそうなんだけど、あたしには何か予感のようなものがあったのかしら、軽々しく利用するぐらいなら他の場所がよかったというのが本音だったのに、それを拒まなかったのよ。

裏庭には、まだ誰もいなかった。
少し待ってみたけどまだ来ないから、前に回った。

そうしたら、屋台村の肉屋が表通りを早足で通り過ぎるのが見えたのよ!明らかにラウルたちを捜していたわ。あたし、ちょっと開いていた入り口から、慌てて教会の中に入ったの。
薄暗くて何も見えなかったけれど、花の匂いがした。そのときはわからなかったけれど、あれが百合の匂いだったのね。さわやかで、どことなく物悲しくて。

暗さに慣れてきた目で奥の方を見ると、花が沢山飾られていた。ステンドグラスからの陽の光が優しい色を付けていたわ、やわらかな赤や青や、黄色や、緑で。だからあたし、やっぱりそれが百合だとわからなかったけれど、あれは百合だったのだと思うわ。

その色とりどりの花を見下ろすように、女の人の絵が描いてあった。
女の人は赤ちゃんを抱っこして目を伏せていて、あたしにはね、困っているように見えたの。
「ああ、この人、赤ん坊が生まれちゃって、どうしていいかわかんないんだわ」
って。
やだ、笑わないでよ!しかたないでしょ、あたしたちみたいな浮浪児は、考えがすぐにいびつな方へ行っちゃうんだから…!!
しかもね、あたし、それを呟いていたみたいなの。

「マリア様のことかい?」
「は、はいっ?!」

男の人の声がして、あたし、飛びあがったわ。誰もいないと思っていたところで名前を呼ばれたんだもの!

「えっ、マリア……さま……?」
「君の鑑賞は当たっているかもしれないな、だって処女懐胎なんだから」
「ショ……っ……?」
「全く勝手なものだな。”選ばれし者”だなんて、彼女も選ばれたくなかっただろうよ」

独り言のようにその人は言って、あたしを見た。
若いアジア人のようだった。長い髪を後ろで束ねて、腕を組んでいた。
女の人?いえ、声は男だったわ。

表情はあまりわからなかった。でも、花の彩りの照り返しに浮かぶ視線は、鋭く真実を見据えているようでもあり、退屈に飽き飽きしているようでもあり、なんていうか、『誰にも特定させない個性』でゆらめいているように見えたの。

あたし、少しの間、ぼうっと見つめあっていたはずよ。

「名前は?」

その人は言ったの。
答えたわ。

「……マリア」
「ふむ」

その人は、私の武器である黒い巻き毛を指に絡めて少し眺めると、ぽんぽんと頭に手をおいた。

「マリア、外で騒いでいるのは、君の仲間か?」

それであたし、はっと我に返った。ミゲルの悲鳴が聞こえたからよ。
慌ててドアを開けると、肉屋がミゲルの背中を肉たたきで打っていた。

(初出 2015-6)

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