セント・ウァレンティヌスからの祝福

 

小学校の正門は、「関係者以外立入禁止」と、ルビのふった看板がつけられている。
コウジは鍵のかかったそこを、器用によじ上る。

「入って平気?」
「だって、おれ『かんけいしゃ』だよ?」
「まあ……そっか」

コウジのあとに続いて、田端は黒いワークブーツで校庭に降り立った。

 

ウェーブのかかった長い髪を後ろでひとつにまとめ、細身のジーンズにタートルネックのセーター、黒いダウンジャケット。
彼にしてみれば、この町へ出入りする時やコウジと会う時は、相当に落ち着いた恰好である。

たとえコウジの友人やその家族に会ってしまったとしても、コウジの
「ぼくのとうちゃん、おんがくの仕事してるんだ」
という一言さえあれば、なんとかなるんじゃないかと田端は気楽に考えている。

 

もしここが彼のホームグラウンドである歓楽街ならば、ジーンズはミニスカートに、タートルネックのセーターは襟元にファーをあしらったキャミソールに、ダウンジャケットはレザージャケットへとコーディネートを変える。

膝まである真っ赤な編み上げブーツで、手早く、しかししっかりとポイントを押さえた薄目のメイクをして、軽く顎をあげ、闊歩するのだ。
生粋の日本人でありながらハーフ顔、幼い頃に『女みてえ!』と揶揄された骨の細い身体は、大人になった今、彼にとって少々窮屈な、しかし『彼らしさ』といえる自由を与えた。

 

——小学校なんて超アウェイ。教育への冒涜!

 

息子以外誰もいない広い校庭で、彼は長身の背中を丸めた。
「とうちゃーん、こっちこっち!!」
鉄棒を逆手に握って、コウジは砂を蹴る。
上げた足を空へ突き立てて、止まる。
「うーーーーーんーーーーーー」
バタン。
足が地面に帰った。
「ちょっと待っててね、とうちゃん」
何度やっても、コウジの身体は回らない。
「おかしいなぁ、できたんだよ、ほんとに!!」

 

田端は彼の横で、鉄棒に寄りかかる。
「お前はすごいねえ、今年4年生でしょ? たった10年でこんなにおっきくなっちゃうんだもんねえ」
「とうちゃん、おれのちっちゃい頃、覚えてる?」
小猿のように鉄棒にぶら下がり、ブラブラと身体を揺らして田端を見上げる。
田端は手を地面に近づけて、
「ああ、こーんなにちっちゃい頃から……いや、」
指で輪を形どり、1センチほどの隙間を作りながら、
「こーーーーんなちっちゃいころからね」
「うっそだあ!!」
コウジが笑う。
「本当だよお、おかあちゃんのお腹の中、カメラで見たもん」
「ええ、ほんと?おれ、どんな顔してた?」
「こっち向いてピースしてた」
「うそだあ!」
「うん、それは嘘」

田端は、鉄棒に尻を乗せて座った。

「おかあちゃんは、いいなあ。うらやましい」
「なんで?」
「だって、お前みたいなのを自分の身体から作り出したじゃないか……おとうちゃんにはできないもん。すごいなー、っと思ってさ」

足を鉄棒にかけてコウモリになったコウジが、

「えー、じゃあ、とうちゃん、かあちゃんになればいいじゃん」
「……どういう意味?」

田端は警戒しながら訊ねた。
コウモリは手を地面について、足を振り下ろす。

「かあちゃんになればさ、ずっとうちにいてくれるでしょ? ……あ、でもそしたら、かあちゃんがいられなくなっちゃうか……うーん、困ったなぁ」
「大丈夫、おかあちゃんには、なれないもん……こうやってコウジと遊べるから、我慢するよ」

 

空を見る。
透き通った青空に、飛行機雲が一本、弧を描いて太陽に呑まれ、消えた。

 

——やっぱり居心地が悪い

 

田端は鉄棒から飛び降りるとスキップして行き、登り棒に手を伸ばす。
腕を絡ませるように軽くジャンプして、脚をつま先まで伸ばし反動をつけると、身体がくるりと棒の周りを回転する。

「わあ、とうちゃん、すげえ!」
「ちょっとポールが太いかな」

一旦降り、地面を蹴り上げて脚を棒に絡め、逆さに掴まる。
校舎が天地を逆にして浮いている。
滑り台も、ブランコも、重力に反して奇妙に生えていた。

田端は、自分が地面に降り立てば、その奇妙な景色が変わることを知っている。

——でもね……それやると負けちゃう気がして……ただの意地なんだけど。

上半身を起こす。
コウジが羨望の目で見上げている。
すげえ、すげえ、と跳ね回っている。

——ごめんね。お前には、なんの罪も無いのに。

すとん、すとん、と下りる。

「ねえコウジ」
「すげえすげえ!!」
「おとうちゃん、今のまんまでもいいかな」

コウジはきょとんとして、彼の顔を見上げた。

「いいよぅ。おれ、とうちゃん、すきー」

ぴょん、と抱きついてくる。

その拘束が命綱であることに、田端自身、気づいている。

「……重いよ、コウジぃ」
「あ、かあちゃんだ。かあちゃーん!!」

コウジはぴょん、と飛び降りて、校門の外に立つマコの元へ走っていった。

 

「時間だよ」
「えー。もう?」

久しぶりに会ったマコは髪が伸びていて、田端は微笑む。

「かわいいじゃない、髪」
「手入れが面倒。すぐ切るわ」

その言葉が照れ隠しであることを、彼は知っている。

「あ、そうだこれ、バレンタイン」

校門の鉄格子越しに、彼女へ差し出す。

「なに?」

いぶかしげにそれを手にしたマコは、紙の包みを開ける。ハッとして、顔を上げる。

「指輪……!! おっきいっ、なにこれサファイヤ?」
「お客さんに貰ったの。お裾分け」
「くっそおおぉ捨ててやるこんなもんッ!!!」
「売ったら15万ぐらいにはなるんじゃないかなぁ?」
「うれしいッ! ありがとうございますっコースケ様」

急にニコニコと大事そうに手のひらで包み、ポケットに仕舞う。

「……さ、コウジ、帰るよ!」
「うん。あっ、とうちゃんに宿題!『木の上に立って見てるのはだれでしょうか?』」

うーん、と考えるふりをする。

「誰かなぁ、おサルさんかなあ?」

ウキャキャ、と子猿が笑う。

「じゃあ、とうちゃんからの宿題。『エッチの先には何があるでしょう?』」

マコが鬼のような形相で振り返る。

「バカっ!子供相手になんてことを!!」
「男の子には大事な問題なの!目を逸らしてんじゃないっ」

コウジはボケーっと二人を見ていたが、笑って言った。

「調べてみるぅ」
「アルファベット表を見てごらん」
「わかったぁ。とうちゃん、またねー」

さっさと歩き出したマコを追うように、手を振りながら後ろ向きで遠ざかるコウジへ、

「ちゃんと前向いて歩きなよ。またねー!」

手を顔の横で立て、田端は大きな声で言う。

 

二人が角を曲がり、姿が見えなくなってやっと、田端は裏門へ向かって歩き出した。
広い校庭は、行けども行けども出られないような気がする。

 

——んなこたぁない。大丈夫。

 

彼は、コウジからの宿題を温かく抱えたまま、ゆっくりと校庭を踏みしめて歩いていった。

 

(終)(初出2014-2)

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