見渡すかぎり、赤い砂が続いている。
写真で見た火星の表面のようにその土はからからに乾いて、ところどころ石がある。
小さな窪みに足をとられながら私は歩いていた。
かなりの距離を来たはずなのだが、不思議と疲れは感じられない。
三十メートルほど前に横たわる深い谷の向こう岸に見える幽かな影が、私の目を釘づけにしていたからだ。

「お父さん!」

私は大声で叫んだ。
お父さんはきらびやかな御輿の中に居る。
姿は見えないが私には判る。
只事ではない。赤い烏帽子と束帯を夕日に煌めかせた狐らが延々と続く行列の中央で御輿を掲げているのだ。
行列の先頭は西の地平線へと消えている。

「お父さあんっ」

私は何度も繰り返してきたようにまた駆け出したが、峡谷に行く手を阻まれた。私の声は届いているのか、いないのか。

「お父さあああん」

ありったけの声を振り絞って、叫ぶ。
埒があかない。
見ると、谷の底へ続く錆びた急な階段がある。私は降りることにした。
谷を一旦降りてから、向こう岸へ登ろうという考えだ。
両脇の手すりに両手をかけて後ろ向きに。一歩一歩を確実に降りていく。

まだ大して時間が経たないように感じていたが、もう底に着いたらしい。
階段の横に古ぼけた木製のドアがある。
何となく近道のような気がして中に入る。

むっとした熱気の漂う地下室は私の家に似ている。
部屋の中央に応接セットが置かれ、食器棚の上の花瓶は枯れ花を差されたままだ。
裸電球の照明が蒸し暑さを盛り立てている。

 静かだ。誰もいないこの部屋は静かだったのだ。
私は静かなこの部屋に入ったことがなかった。
いつでも誰かの商談のために使われていたこの部屋。
例えば渋沢建設のおじさんはこの部屋でお父さんと将棋を指していた。
お父さんと。
そうだ、お父さんを連れ戻さなきゃ。

ドアに駆け寄るが、そのドアが開かないことを私は知っている。
唯一の窓に走り込んで、拳をぶつける。ガラスは震えるだけで割れはしない。
窓の外には砂が乾いた音をたてて落ちてゆく。
あつい。息苦しい。湿気が粘っこく身体に張り付いてくる。
ああ、どうしたらいい?何をしたらいい?

でも、何かがおかしい。
この世界はおかしい。
もしかしたら、夢かもしれない。
そうだ、きっと、夢なんだ!

私はガラスに触れてみた。
冷たい。つるつるしている。硬い。こつこつと音がする。
冷たい、硬い、つるつる、こつこつ。

えっ?

今度は床に伏せて頬を床板にすりつけた。

冷たい。硬い。砂と木とがざらざらと頬に食い込む。
鋭い痛みに驚いて顔をあげる。
床板のささくれが柔らかな皮膚に刺さっている。
痛む場所を指で探って、小さな木の欠片を抜き取るとそれには赤い私の血が付いている。

嘘でしょう……?

冷たい、硬い、ざらざら、痛い、
つめたいかたいつるつるこつこつざらざらいたい
ツメタイイタイザラザラコツコツイタイカタイツメタイ

夢じゃないんだ。

これは夢じゃない。

こんな触覚や痛覚は現実だけのものだ。
こんな夢なんかない。

お父さん私、どうしようお父さんのこと、助けられないかもしれないよ、自分のことも、よくわからないよ……

喉がからからに渇いていた。
飲み水は、期待できなかった。

(終)(初出 1999)

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