わたしのペンは何を救うのかカテゴリ:記録 投稿日:2019-01-31 |
「『救う』という態度は傲慢だ」
と言われたことがある。
そこに上下関係・強者と弱者を読み取れば、確かに傲慢さを感じなくはない。
それに続いて、
「『寄り添う』が対等だ」
と言う。
『寄り添う』だけで解決する問題はある。
当人に、立ち上がる力が残っている場合だ。
それは理想の人間関係だ。
しかし立ち上がることができず、
まして生きていくのに精一杯で、
いや、自分が生死すらはっきりと認識できないようなひとには、『寄り添う』だけじゃ足りない。
そんな場合に『寄り添う』のは、見殺しにするのと同じだ。
そして、そんなひとは案外近くにいる。
ひっそりと、ただ呼吸をしている。
*
わたしのペンで何が救えるだろうと考えてみる。
孤独死の老人を、
絶望に沈む若者を、
虐待される少女を、
救うことはできない。
寄り添うことはできたとしても、ペンを捨て手を伸ばさなければ、救うことはできない。
「そもそもかれらは、『救われたい』と思っているのか?」
それは当事者に聞かなければわからない。
聞いても、ほんとうのことはよくわからない。
それでも聞けば少しはわかるかもしれない。
絡まった糸をほぐしながら、それでいて毅然と大胆に、
わたしはペンを捨てて、手を伸ばして、そこにある手を握るべきなのかもしれない。
*
わたしのペンが救うのは、わたしだけだった。
わたしはそれを、ひどく空々しいと感じている。