ハレノヒ(白のブルース)

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投稿日:2000-09-02

今日は旧世界でいうところの大晦日。
昼から降り始めた雪が積もり、客足は例年より少なかった。

今年最後に、湯女のメラクを指名した客は、竜人への偏見厳しい老いた浮浪者であった。世界が『こう』なってしまったのは奴等の所為だとか、キメラの世話になるぐらいならロボットの方がマシだとか。彼女の口がきけないのを良いことに、呪詛のような言葉を吐いてこの《湯浴み処 黒龍館》と眼前の湯女を小馬鹿にしてみせた。
しかし伏し目がちな彼女が、彼の黒く汚れた指の爪に軽くブラシをかけ、自分の白い指に泡をつけて丁寧に撫で洗いはじめると、溜飲を下げたのか大人しく、されるがままになっていった。


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今年の全ての穢れを流し尽くすような『湯浴み』を終えて、メラクは客を見送りに外へ出た。
雪は未だ降っていた。客は傘も持たず、サラサラの積雪に足をとられながらも、上機嫌で帰っていく。

近代的なビルと、古い石造りの建屋。交雑の街。年越しでどこも店終いは早く、いつもは朝まで煩いネオンも消えていた。通りのガス灯が白銀をうす青く照らしている。
今夜は怒号も、屋台の唄も、聞こえない。薄汚い街が、新年を祝うために一丁羅へ着替えたようだった。

鐘の音が響く。

メラクは厳かな気持ちで、自分の暮らす街をしばし眺めていた。
やがて冷気に気づき、ふるると身震いしてエントランスへ戻ろうとした、その時。
吹雪のように粉雪が舞いあがり、漆黒の龍が降り立った。この湯浴み処の用心棒、トゥバンである。
「雪は全ての足跡を隠す。屋根からの眺めは格別だよ」
低い声を放ちながらその姿はしゅるると小さくなり、昔の書物に記される『ワニ』のような顔をした、二足歩行の竜人の姿に収まった。

「彼は帰ったね、耳栓を外そう」
肩をすくめてトゥバンが言う。これは、トゥバンが『聞きたくない話を聞いてしまった』というときによく呟くジョークである。
ワニ由来の彼の耳には蓋のような骨がついていて、閉じられる造りになっている。しかし、水が入ることに対しては効果的であっても、音に対しては効果がほとんどないのだという。
メラクは口元を抑え、笑いをこらえるジェスチャーで応じる。

また鐘が鳴った。

「私の身体は外気温に影響を受けないはずなんだが、なぜか芯まで冷え切ってしまってね。『凍える』とはこういうことなんだろう。……あのね、その……私もお湯をいただいて良いかい?」
おずおずと申し出るトゥバン。
彼女は勢いよく頷くと、嬉しそうに扉を開けた。


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そのころ一階の食堂では、二人の少年と古式メイド姿のアンドロイドがゲームに興じていた。
テーブルの上には戦場を模した、升目の描かれた地形図が広げられている。たくさんの赤い駒をイェヌスが、青い駒をウェヌスが、自分の陣地に集め、並べた。
イェヌスとウェヌスは双子のようにそっくりだ。金髪のくせ毛、褐色の肌。笑うと潤む瞳。しかし闘将率いる赤軍がイェヌスで、学者率いる青軍がウェヌス。

「よし3戦目だ。スタート!」
「イェヌスずるい! ちゃんと手を離してからスタートだぞ!!」
「ぼくは離したよ! あっ、ウェヌスこそ自分の陣地にちゃんと戻しなよぉ」
「ウェヌス様もイェヌス様も、喧嘩はいけませんわ。真剣勝負ですよ。さあ、仕切り直しましょう」
アンドロイドのフォリクルスは、赤いプラスチックのメダルを50枚積んで、ウェヌスの前に置いた。
「……ワタクシは青の学者軍に賭けます」
「なんでだよフォリ! ぼくは二回とも勝ってるじゃないか! どうしてぼくに賭けてくれないの?」
「これまでの二回のプレイから分析したところ、ウェヌス様はイェヌス様の弱点を見抜いておられます。次はウェヌス様がお勝ちになるでしょう」
ぷーっと頬を膨らませたイェヌスの向かい側、ウェヌスが涼しい顔で顎をあげて見せる。

そこへ、コーンスープのお代わりを手に、グランマが戻ってきた。
グランマはこの《湯浴み処 黒竜館》の主人である。今年最後の客が上機嫌で帰ったので、湯女のメラクと用心棒のトゥバンそれぞれに、金貨10枚と、8番街のレストランバー《ティアドロップス》のディナーチケット5回分をプレゼントしてきた。旧世界でいうところの、ボーナスだ。
——去年もまあまあ良い年だった。あの二人のおかげで今年も、子ども二人とドロイド一人、養うことができそうだ……。
グランマはコーンスープを一口すすり、頷いて、椅子に腰かけた。
「まぁたアンタたち、おんなじ顔して喧嘩かい? 仲良くやりなよ。まったく今年一年も思いやられるねえ……」
「えっ、もう年が明けたの? 気づかなかった」
「鐘、鳴った?」
「アフターウォー(A.W.)49年、00時00分00秒、6番ゲート《アガペーの鐘》は確かに鳴っていましたよ」
みな、黙った。
もう鐘の音が聞こえないのはわかっているのに、みな、その音を聞こうとしたのだ。
しばらくして、イェヌスが言った。
「……お腹すいちゃったな」
「オレも」
ウェヌスも同意した。グランマはコーンスープを飲み終えると、
「じゃあ、カダイフ麺でも茹でようかね」
と言った。少年たちはパァッと笑顔になって、食べたい食べたいとはしゃいだ。