僕の誕生日に

カテゴリ:現代物, 読み物

投稿日:2017-05-01

去年の今日、恋人に振られた。
三年前の今日、名古屋に飛行機が落ちた。
四年前の今日、父が死んだ。
八年前の今日、何処かの国の原子力発電所が燃えた。
十五年前の今日、家から100メートルのところに小学校ができた。
二十年前の今日、僕が生まれた。
今日は、そういう日である。

何か起こりそうな予感がする。
僕もハタチになったのだし。
良いことにせよ悪いことにせよ、何かが起こるのは嫌じゃない。
何かが起こって僕自身の姿がよりはっきりとしてくるのを見ているのは、面白い。

僕は今、ベッドの中にいる。
時計を見る。
午前11時38分。
大学はとっくに春休みだ。
いつも寝てばっかりいる僕も、ハタチになったのだし、今日ぐらいはどこかへ出かけてもいいんじゃないだろうか。

自分の部屋を出て台所に行く。
そこは暗く湿っていた。
昨夜の、母とのケンカを思い出す。
嫌な感じだ。

テーブルの上に書き置きがある!まさか……
『買い物に行ってきます おなかが空いたら昨夜のカレーをチンしてください』
買い物、買い物。ほうっと息をつく。
母上ワァ、買イ物ニィ、参リマシタァデゴザイマスー
ハハウエワーカイモノニーマイリマシタデーゴザイーマスー
ハハウエワー家出デワーゴザリマセヌーカイモノニーマイリマシタデェゴ
「ちょっとあんた、変な歌うたわないでくれる。近所に聞かれたらどうすんの」
「あ……」
「家出じゃないもん」
「う。お帰りなさい。メシ、食う」
「カレー、食べちゃってね」
僕は急いでカレーを片付けて支度をすると、家を飛び出した。

3月の外気はまだ、少し肌寒かった。
最寄駅から上りの電車に乗る。
車窓からの風景はまだ冬の名残をとどめていて、常緑樹の他に緑は見えなかった。
去年もそうだった。
まだ若葉が出てこない、と思っているうちに新学期が始まり、気付いた時には林が萌えていた。
僕のわからないうちに何かがどうにかなって、たった一日二日で全てが変わってしまうのだ。

赤ん坊の悲鳴にも似た鳴き声で、僕の目と頭は車内に向けられる。
若い母親は必死にあやしているが、頑として泣き止もうとしない。
峰不二子役の声優が、女性のセクシーな声を作るために赤ん坊の泣き声を研究したという話をどこかで聞いたが、この赤ん坊の泣き声はお世辞にもセクシーだとは言えない。
不安感を呼び起こす声だと断言できる。
車内には人もまばらだが、泣き声が響く前より重い空気が漂っているような気がしないでもない。

キキーッと嫌な音がすると同時に電車が大きく揺れた。
進行方向に強い力で引っ張られ、ガタン、と今度は逆方向に突き飛ばされるような衝撃。
急停車した。
車掌が何かを抱えて運転席の方へ走ってゆくのを窓から見る。
赤ん坊がさらに大声をあげて泣き叫ぶ。
(まさか、事故?)
人身事故なんてやめてくれよ、かといって車との衝突なんてもっと厄介だ、せっかくの僕の誕生日なのに、勘弁してくれ!
そうか、僕の誕生日、
飛行機が墜落した僕の誕生日、
原発事故があった僕の誕生日、
父親が死んだ僕の誕生日、
彼女に振られた僕の誕生日、
ハタチになる僕の誕生日……
かわいそうな三月二十六日。
何かが起こる三月二十六日。

「えー、架線に、ビニールひものようなもの が巻きついておりまして、えー 急停車 させていただきました」
ふざけんな。
「お急ぎのところ大変恐れ入ります」
全くだ。
あれ、どこに行くんだろ、僕。

そうなのだ、別に何が起こるわけでもないのだ。

池袋東口、明治通りの中州で、僕はへたっていた。
ハタチになったからといって、何が起こるわけでもない
僕の誕生日には色々な事件が起こったようだが、きっと他の日にもいろんなことが起こっているのだ。
大統領が撃たれて、城が焼け落ちて、爆弾テロがあって、船が沈んだ、なんて日もきっとあってそんな日に子供を産む母親がいて、そんな日に生まれる子供もいるのだ。

ハタチになった僕の身の回りでは何も起こらなくても、この日のこの時間、どこかで何かが起こっているのだ。
この、僕の目の前を通り過ぎて行く何百何千という人々にも何かが起こっているのかもしれないし、起こるのかもしれない。
僕にも何かが起こるかもしれないが、今は特に何も起こっていない。
変化を期待する僕にとっては不本意だが、変化のないところに安らぎがあるのだ。
そう思って、死ぬまでの退屈な日々をやり過ごしていくのだ、きっと、これからの僕は。
はいはい平凡万歳。

突然、キャア!!と、いくつもの黄色い悲鳴が同時に、僕の背後で上がった。
振り向くと、人集りの中心に、長い銃を担いだ男の姿。
男がゆっくりとそれを、どこへともなく構えるのを僕は見た。
逃げる方向を探した。
背後でダダダダと聞きなれない音がした。
皆一目散に走り出す。
僕はつい口元がにやけるのを抑えながら、ぶつかってくる人をはねのけて、走り出した。

(終) (初出 1994年)