【ひとくち感想】アンソロジー BALM 赤盤

カテゴリ:感想

投稿日:2022-12-15

 『BALM』とは、参加者が掌編小説2編とエッセイ1編を寄せたアンソロジー。主催はオカワダアキナさん(@Okwdznr)、純文学の書き手さんです。私はその繊細でおおざっぱで不真面目でまじめな作風が好きで、このアンソロジーでは私もそんな氏の作風をふまえて作品を寄せてみた。
 感想、発行から半年もかかっちゃった(これについては感想後にちょっと言い訳書きました)けど、大所帯アンソロジーということで、普段あまり目にしない世界や文体に出会えて楽しかった。『BALM』というテーマは、正面から描かれていたり、その裏を表に出して逆説的に示していたり、モチーフとして登場するだけだったり、とにかく、作品の数だけ表現方法があるということが素敵だと思った(当たり前のことだわね)。

 表紙はえもさん(@tatamy_uma)。ゆるゆるしたタッチなのにどの子も笑っていない、そんな女の子が素敵だなあと思ってた。今回のアンソロジーは2冊組で、それぞれ赤と青を基調としたデザイン。表紙には、えもさんの描く、なんとも言えない表情の女の子と、寄り添うだっこちゃんが居る。
 掲載された小説はどれもすっきりさっぱりとは割り切れないものが多くて、えもさんの描く女の子の表情がとてもマッチしている。主催のオカワダさんがそういう傾向のものを書かれる、というイメージも私の中にある。
 以下感想です。展開に言及した感想もありますので、まだ読んでない方はご留意ください。


伊藤なむあひさん

お名前はTLでたびたび拝見していたけれど、作品を読むのは初めて。
『ああああ』は早送りの人生ロードムービーみたいな感じで、最後は燃える牛車を眺めているような気持になった。面白い、んだけど、手放しで面白い(fantastic!)と言うのがはばかられる。なんでだろう。
『ハッピー・バースディ・トゥ』は読んでいて苦しくなる。ラストは解放なのだけどすっきりしない、澱のような読後感が残った。かといって、もう読みたくもないというわけではない。表現、原初の言葉、そんなことに思いを馳せてしまう。
エッセイ『本を食べてパンを聴く』は、同録小説2作の解説と創作の経緯について。自分以外の書き手の創作エッセイって興味深い。「説明するのが難しいんだけどだからこそ小説という形で書いてる」に深く共感した。


赤澤玉奈さん

『手紙』友達が引っ越して中断された交換ノートをめぐる長い時間が、波のうねりのような丁寧で詩情を感じさせる文体で語られていく。自分が変わってなおそこにあるものを見つめる目がいい。
その文体が『さわって』ではさらに柔らかく力強い詩となっていた。「暗い穴の奥ではなくて、生活に代入してやりたかった」が好き。
『掃除と雑巾とわたし』、タイトル通り掃除のエッセイなんだけど、出てくる建物に対する感性が面白かった。手のかかるロボットだったり、泥をすくいあげた雑巾が墨を吐く獲物だったり、蔵の中が腹の中だったり。そんなふうな見え方の中で生活するのはきっと楽しいだろうなと思った。


阿瀬みちさん

『Familiar』、ただの「わたし」であり続けようとする、切実さ。周囲の人間の生ぬるさ。「わたし」のいらだちには私にも覚えがある、もう遠いものになってしまったけれど……。いろいろを思い出させてくれた作品だった。
『パーフェクトブルー』、生々しい生理の描写から「子宮を持たない若い男」との夢想へ飛躍するのがいい。その夢想は従来のジェンダーをひっくり返したもの……ではあるんだけど、気持ちいいなって思っちゃった。最後の一文が眩しくて好き。
エッセイ『キラキラカテゴライズ』。カテゴライズされるのは猛烈に嫌悪するのに、ふとした瞬間に出てきてしまう刷り込まれたカテゴリー。小説からも感じたんですが、とても自分に正直で誠実な書き手さんだなと思いました。


淡谷慈さん

『逃走』。特別でもない男との旅行、捌け口としてのセックスからの逃走。どうにもうまくいきそうにない展開からのまさに「カラフルなパズルゲームでフィーバーする時の」エフェクトに彩られた「私」が目に浮かんで思わずニヤニヤしてしまった。爽快!
『統合』は、交通事故で意識と身体が分離して、という幽体離脱の話なんだけど、死んで焼かれるところまでの話はあまり読んだことがなくて、途中からちょっとビビったのは内緒。でもホラーではなく(……いや、ホラーでしょ?)、淡々とした語り口で、怖がらせる意図は感じられない。最後の裁判長は閻魔大王なのかな。
『転生の日』。子どもを通した付き合いからすこし発展して、「もしタイムスリップして同じクラスに所属したとしても、お互い特に話しかけようとは思わないだろう」という同士が新たな連帯を作る、そのありがたみ。しみじみと頷きながら読んだ。


あめのにわさん

小説二作はどちらも関係性が印象的だった。『鍵を返す』の「ぼく」と「サチヨさん」は、数年ぶりの再会でお互いの様子を探っている。かつての同居人が突然現れても動じないサチヨさんと、その変わり様をじっと見つめるぼく。冷えきった二人の距離がわかってしまう。『出番待ち』の「シゲル」と「カツジ」は高校生コンビ、単位のためにヒーロースーツを被るも、他のヒーローたちを食い入るように見つめ肩を並べている。演るより見るほうが好きなふたりの将来が楽しみになる。
『映画鑑賞録(抄)』は名画座で観た映画の感想。知らない映画のレビューって読まない方なんだけど、これは好き!知ってる俳優さんが出てきたり、あらすじもなんとなく理解できるからかな?(自分、昭和なので……)もっと読みたくなった。


燐果さん

これ自分です。ちょっと触れておこうかなって思います。
『祭司と魔女』オカワダさんのアンソロに参加ということで、なんというかこう、生々しくかつ爽やかな話を書こうと思った。どういうことだろね。オカワダさんからの感想(寄稿者全員が感想を頂いた)では、「一般的にエキセントリックな女の子に対してはなすがままの男の子が出てくることが多いんだけど、この僕は自分を「祭司」だとか言っちゃうとこがいい」(※追記参照)というようなことを言っていただいた。私も、この僕ってセックスのクライマックスに「宴もたけなわではございますが」とか言っちゃいそう(言ってない)なとこが気に入ってるので、彼のズレ感を感じていただいてうれしかった。
『ルーチン』は帰宅後寝るまでの女性の様子をつづったものなんですが、こういう起承転結のない話でを書こうというときに、パラレルの自分を想像することがけっこうあって、この話も当初は「私が一人で暮らしていたら」という着想でした。
『GRIS ―修復の物語―』は、「GRIS」という評価の高い雰囲気ゲーのレビュー。もともとは「雰囲気ゲーのなにがわるい!!」という呪詛のような、このサイトに上げ損ねて下書きに入ってた文章です。少しお上品に書き直しました。

2022.12.16 追記

この感想をTwitterにあげたら、オカワダさんからたくさんのあたたかいコメントをいただいた。私の2作に対する当時の感想もスクショしていただいていて、読み直すと、全然違うやんけ!という感じになったので、読んでほしい。スクショが正!


伴美砂都さん

『死太郎』は、「何者にもなれなかった私」が、毛虫と同じ名前で呼ばれていた級友と再会する話。なんともすっきりしない話、しかしこれぞ人間、と思う。記憶と現実とが煮凝りのように丸められて、飲み込もうとしても飲み込めない。誰がいいとか悪いとかではなく。
『アンキロサウルスは犯人じゃない』は、私と蘭子の再会。ミスリード、というキーワードで、終盤にそれまでの「私」像がひっくり返るのが面白かった。大して内容のない会話をお互いに続けようとするのは友情であって、それもまた明晰にされず転寝へと導かれるのがいい。
『水銀灯の夢』。水銀灯の体育館は、まだ健在してます。私は子の小学校で初めて水銀灯を見て、そのゆっくりとした動作にときめきを覚えてしまったのですが、ご自分を水銀灯に例える伴さんも、伴さんの描かれる関係も素敵でした。


望月柚花さん

『夏の避難訓練』は、水風呂と会社の往復をして過ごしていた「私」の時間が、ハナモリさんと私が過ごした避難訓練でのひとときによって少しだけ変化する様子をていねいに描いている。ラストが温かでホッとする。
『晩秋の手打ちうどん』。若い「私」が空腹を覚えつつ「私の生はコンビニが握っていることになってしまう(略)かなり嫌だ」と思い、レシピを検索しながら手打ちうどんを作る。その気持ちの流れがとても自然で、「私」という人を好ましく思う。あと、おいしいうどんが食べたくなる!
『さいはてまで』は、クロスバイクを迎えてからの日々を描いたエッセイ。先の『手打ちうどん』と同じように、好きなように進む姿がいい。私自身が、そういう自由さに憧れを抱いているんだなあと思ったりしました。


凪野基さん

 凪野さんは、ネット文芸イベント界隈でご一緒することが多い書き手さん。硬派な文体と柔らかい発想のマッチングが好き。既刊『Jubilee!』は「見てきたような嘘をつく」をモットーにした短篇集で、特に3編の伸縮小説をオススメします。あっでも「初恋」も「アンブロークン」もオススメです……ファンタジー、SF、現代もの、いろいろ書かれます。
 さて、BALMの寄稿作品については、凪野さんの十八番(だと私は思っている)「すこしふしぎ」系のお話と、飛行機乗りのお話になっていて、ワクワクした。
『朝までまっすぐに』は、かわいらしい影法師の来訪の話。さくっと自分の影を切り離してしまう潔さで「私」を少し心配してしまうが、大冒険の予感にほっこり。コロナ禍で直接のコミュニケーションが憚られるようになった今、影同士の交流はアバターによる交流ともとれるかも。
『愚者の黄金』は、夢見がちな飛行機乗りたちの中にやってきたクールな整備士ダリラに、浪漫あふれる鉱石ラジオを預けるファエアの一幕。飛行機乗り、ファエアの格好いいことといったら!そしてそれに渋々応じるダリラもまた空を夢見る一人であることも、浪漫オブ浪漫。
 『性別のアノニマス』は、ゲームにおけるPC選択の男女比についての考察。私も以前、ゲーム友達(男性)になぜ女の子キャラでプレイするのかと尋ねたところ、「どうせずっとケツ見てなきゃいけないんだから女の子のほうがいいじゃん」と簡潔に(ケツだけに)答えられたので、男性陣にとっては至極当然の帰結(ケツだけに)なのかもしれない。


みたかさん

 『手にしていたもの』『嵐を待つ』二作とも、一つの視点をじっくりと丁寧に描いていて魅力的。母におんぶされるほど幼いころの記憶と情感、母以外のすべてに感じる怖れ。嫌いな親父に近づいてしまっている自分に対する憂鬱。自我の芽生えと確立は、不安定な気持ちの中に育てられていくものなのだろう。描写と心情がちょうどよい塩梅で、読んでいて自然に共感できる。
 エッセイ『あの日見た海』では、作者みたかさんの幼少の頃の記憶が語られる。私も小学生の頃、残土山を秘密基地のように思って登ったりしていたので、頷きながら読んだ。見つけた貝殻に海を思う、その考察力がうらやましい。小説を書く喜びについても、大きく頷いた。


桐生りりりさん

桐生さんは校正チェックグループでご一緒だったので、先に拝読している。
『天使行』「僕」にしか見えない天使の存在が、「いないように扱われる」僕とリンクしていく。
僕の「誰かに見てもらって存在したい」という気持ちが揺れ動くさまが、せつない。
『赤薔薇を貴方から』は、女中の、奉公先の主人への憧憬を描いた作品。私は近代文学の文体が好きなので、とても良かった。「傷つけ合いたいと思わないかい。(略)遺された傷を激しく嫌悪しながらも、一抹の愛しさに苦しめられる」。薔薇の棘を作る主人から「君、恋をしたことがないね」なんて言われたらあああああー! 鮮やかな記憶、額縁に入れたくなるような。
『ゆゆゆゆん』このエッセイを拝読して思い出したこの曲、たぶんどこかの定期演奏会で歌われていた(私は高校生のとき合唱部だった)。重なってゆく「ゆゆゆゆん」の迫力が記憶にあるのだが、作詞になかったなんて!桐生さんの「詩の下に柔らかく積もり敷かれた羽毛のようで美しい」の表現が美しい。


こい瀬伊音さん

『薬指でやってあげる』恋人に振られた「俺」が、正月に帰省した地元の友人たちとの飲み会でワイワイとダメ出しされる模様を描いたお話。友人たちの忌憚なさすぎるやり取りが、陰キャな私にとっては遠い世界の話で……でもこのダメ出しには愛を感じる。ラストの静寂がしんみりと、かつしんみりさせない感じで終わらせてうまいと思った。
『オープンフルーツサンド』オープンフルーツサンドを宝石のように思う「わたし」と、ケチをつける「母」。最後から2行目が唐突に思えて何度も読み直した。オープンフルーツサンドは比喩か象徴なのかな。彼女自身の個性?として読み直してみると、「母」の「ケーキじゃないなら意味がない」「もう好きにしたらいいわ」が母の価値観の押し付けやあきらめだったり、「あおむけのヤモリ~」が魔法ではなくて「わたし」にとっての宝石であったりする(=個性)のかなあと思ったりしました(解釈自信がない、違っていたらすみません)
 エッセイ『強くなり、たい』バスケ部の様子はこれもまた遠い世界のお話のようでした。(私自身は「帰れ!」と言われたら帰ってしまうようなタイプの人間なので……)「試合後泣きながらバッシュを~(略)俯いていたわたし」を読んで「よく!そんな世界で!がんばりましたね!!」と背中を撫でに行きたくなった。強さにだっていろいろありますよね……。


遠藤ジョバンニさん

『化身』親の借金を返すために働く「私」が出会った「彼」。もらったユリの花を拠り所にした私の行きつく先。読みやすいので、どんどん気持ちがしんどくなる。「私は自分の底知れない動揺に~」からの加速する心情吐露が痛ましくて耐えられない。
 対して二作目の『魔法少女ストロングゼロ』は、意外な展開で(いや、タイトル見るとそのままなんだけど、まさかだから)、「そして一気に~(略)~頭上に踊る」「酒は飲んでも飲まれるなーー」で声出して笑った。「ジジイは無事に~」で、一作目の鬱展開を思い出してちょっとビビったが、笑えるラスト。個人的には好きな組み合わせの二作として読ませていただいた。
 エッセイ『私がねむるときのこと』は、怖がりで眠れないというお話。「孤独は贅沢品で、同時によるべないこわいものである」という遠藤さんが書かれた二作品が明暗に分かれていたのは、このあたりが影響しているのかなあと思ったりした。


比良坂美紀さん

 家族をテーマに、登場人物に繋がりがある小説三作。『酸っぱい真実』ではぼんやりとしていたが、『私の家族』『猫と童子』を読み進めると見えてくるものがある。ママとパパと浩平さんの愛の形であったり、夏蓮とナルミおばちゃんの率直な会話であったり、婚姻から離れた繋がりの中に育まれたものだ。複雑な家庭を描くとき、登場人物の悲劇や暗い情念や、あるいは必死に頑張る姿などがフィーチャーされがちだけれども、ここの人たちはみな聖人君子でなく、悪人でもなく、等身大の人間である身軽さのようなものが感じられてよかった。
 エッセイは『筋トレと小説と私』。筋トレと小説講座ってずいぶん遠く感じるけど、そこを反復することでZINEを作りはじめたっていうのが面白かった。自分も創作で壁にぶつかると違うことをやってみたりするので、次は筋トレにしようと思いました!


たけぞうさん

たけぞうさんは、フォロワーさんの作者当て企画でご一緒したのがFFの始まりだったと思う。いろんなジャンルのアンソロジーに参加し自ら企画も手掛ける、フットワークの軽い書き手さん。最新企画の『ビストロ・ラテラル』というウミガメのスープアンソロジーは、文フリで買おうとしたけど列ができていて諦めました(通販申し込まなきゃ)。
 一作目『ホモ・アーティフィシアリス』は宇宙船を舞台にしたSF(このアンソロ読んできて初めてのストレートなSFかな?)。千年の寿命と巨体(身長25メートル!)を手中にした人類が宇宙に住んでいる未来、ジュリエット役を練習する少女を通して「一度きりで、特殊で、重要で、顕著な」生き方に出会った青年を叙情豊かに描くお話。長寿目指したら250トンになったから無重力の宇宙へ行きましたって発想が面白かった。技術や設備、どんな暮らしなんだろうな、そっちも見てみたい。
 二作目『トゥルー・トルマリン』は、「羊たちの沈黙 デジタル化リマスター(※デジタルです)」という感じで面白かった。ちょっと読み取りきれなかったけど、身体と精神の関係や実存についての禅問答が、デジタル化しててもレクター博士らしくてよかった。小説二作はご自身による註釈本が頒布されていて、私も拝読したんですが、こういった〈氷山の見えない部分〉の積み重ねで面白い発想になるのだなあと思いました。
 エッセイ『あなた』は齢百歳のおばあさんについて。たびたび出てくる「幸せ」という言葉の100年の重み。小説二作とともに、生について思索が広がる。


えるれさん

『名もなき戦死は銀河を生む』読み始めは、おお戦隊モノ!とニヤニヤした。読み進めていくうちに、友人の「俺」が知るテル=ブルーの姿が見えてくる。葬儀に来たユニレンジャーたちにその思いをぶつけるところとかマジで感動してたんですよ、で最後の一文で盛大に噴いた。追加戦士シルバーの登場回だったのかあ、わかるうこれめっちゃ熱いシルバーじゃん!!!
『共犯者アットスターバックス』映画のような勧善懲悪……かと思っていたら重心はそこではなくて、「共犯者」の話。タイトルを二段で落とすのがうまいと思った。あと、「私」の注文が最初のホワイトからダークになるあたりも細やかで好き。
 エッセイ『真っ直ぐ「すぎる」想い』は、小説二作にも現れているなあと。真っ直ぐさへの憧れみたいなものも垣間見えて面白かった。


なつこさん

『屋根裏の神様』仲良い二人のバンドマンが、招待されたライブハウスの三階席で、お客さんを見守る神様になろうとした話。わくわくしてライブの開演を待つ高揚感と、みんなの楽しむ姿を見守る静かな喜び、それらがうねりのように温かさの波になってやってくるのが好き。一階で見たかったと言いながら、ちゃんと楽しんでいるふたりがとても可愛い。
 対して『片翅の蝉』は、ブラック企業で心身を壊した従兄を見つめる「私」の話。「私」は「何を思えばいいんだろう」と思う場面があるが、えっちゃんに近づくまでは遠くにあった「死」をちゃんと見つめることができた、ということなのかなと思った。ソフトな描写なんだけど結構エグいことやってるし思ってるとこが好き。死を想うってそういうエグさがあると思うんだ。
 エッセイ『2019年7月26日 朝』三年越しの、自分との往復書簡。返信の中の「2020年にはコロナウィルスという感染症が~嘘じゃないです」を読んで、最近麻痺してきたけどほんとに、パンデミック映画の話みたいだけど嘘じゃないんだよなこれ、今(2022年12月)だとさらに感染者数も桁が違ってるし……と実感したら、返信の最後が温かくて、ちょっと泣いてしまった。


与謝野安菜さん

 与謝野さんは、参加者校正グループ分けのときに一緒のグループだった方なので拝読してた。
『アイデンティティー』は、母に遠ざけられ病院に預けられた「志津」。医師である栄介に対してだけは自分の理解者であると感じているが、実は……という話。タイトルから、志津のアイデンティティー崩壊を予感させる。後味の悪さ、救いの無さが鮮やか。
『マメブシ』は一転して、未来の明るさを描いたお話。「マメブシ」の花言葉は「待ち合わせ」「出会い」だそう。コンビニ前にたむろしているヤンキーと思いきやモデルだった、という展開は現代のおとぎ話のようだけど、疲れた人が元気になる話はやっぱり好きだ。
 エッセイ『猫とヒトの話』、満身創痍の猫チビクロの生と死と、家族の関わり。一緒に暮らす動物の病や死は辛いね。「お前は生きたいのか」と聞くとき、筆者はまた自分にも問いているのだろう。こうやって書き記すことで「『チビクロ』は与謝野さんの家族と生きていた」ことが私にも知れるのは、世界の解像度が上がっていいなと思った。エッセイというジャンルの意味はそういうところにあるのかも。


かんのさん

『おなかがすくまで』昭和時代の匂いのするムラの中で、「僕」の視線と思考を切り取って、ばらまいて、並べ直したような散文。不安を掻き立てられるシーンの断片がつながっているんだけど、「僕」の感情は見えない。薄暗さと不穏を味わって楽しんだ。
『キスよりもいいこと』「君」の底しれぬ寂しさに向かい合った「ぼく」の話。スカートを切っていくシーンの、一本、二本、三本……というワクワクするリズムが、「身体をくるんと回転させて」からの畳み込むような描写と声と音につながる。ラストは、前髪を切られたぼくの少しの困惑と喜びの入り混じった顔が見えてくるようで、そこがとてもとてもよかった。「ぼくら」だけの「いいこと」、ロマンだ……。
 エッセイ『みかん飴の記憶』は、記憶について。自分も最近は加齢と共に忘れることが増えてきて、よかったことも嫌だったこともだんだん薄くなってきている。忘れようとして忘れたことは、すでに忘れているので、今の自分には「忘れられないこと」しか残っていないんだなと気づいたりした。「泥酔したその人を起き上がらせて、あなた、わすれてますよ、と言いたくなる時」がある筆者はきびしいようで優しい。


笹良弥月さん

『天使の輪っか』は、悪意なく助けを求める/助けようとする 人同士だけに輪っかが見える、という発想が面白い。助けを求める/助けよう とするのをやめると、輪っかが消えちゃうっていう。もしかしたら、助けているときに悪いこと(例えば、相手を騙そうとか)を考えても消えちゃうのかな、助けられながら「(あれ?この人輪っかが消えてきた!!悪いこと考えてる?!)」ってわかったら怖いな……! 物語の中では困っていた女性も輪っかが消えてきた(これは助けを求める必要がなくなったということでいいのかな)ようでよかった。面白かったです。
『ラッキーゲーマーホナガ』は、ゲーマーの妹の腕を見込んでゲーム配信に呼び込んだのに、妹で女だから「ラッキー」で勝ってると言われ、悔しがる兄の話。女性ゲーマー、強い人はなおさら、ハンドルネームを男名前にしたりという話はよく聞いた。ホナガの「上手くできなくてごめんね」がせつない。優しいお兄ちゃん。
 エッセイ『音楽の流れる自室から』は、澤野弘之さんについて。お名前を初めて知ったんだけど、ググったら進撃とかガンダムUCとか医龍とか、沢山手掛けていらっしゃった。このエッセイでは、そういった劇伴のピアノソロアルバムが紹介されていて、そういえば最近ピアノ曲聞いてないなあと思ったりしたので、聞いてみたい。


えもさん

 表紙のイラストを描かれたえもさん、文章でも参加されている。
『あったかい』『ひきこもる、ふろ入る、三脚買う』、エッセイのような小説?小説のようなエッセイ?もしこれが全て創作だとしたら、めちゃめちゃ解像度が高い。2作を読んだあとで『棚を作る』を読むと、ちょっと文体違う気がするので、やっぱり2作は小説なのかな。ここまでいろんな色の作品を読んできたので、みっちゃんが死んだりひどい目にあったりしないといいなと思いながら読んだ。無事でよかった。
 アナログ(おそらくCDも含まれる)から出ているホワイトノイズ、それと知らずに聞いた赤ん坊がぐっすり眠れるみたいに、私も気づかないうちに紙を手にしている、同じかな、違うかな。


緩州えむさん

『白衣の子』太陽が遠ざかって行く世界で、選ばれし者が太陽を取り戻す旅に出る儀式。残る少女ユレットは、誰も戻ってこないこの儀式が太陽を取り戻すことなどないと思っているだろうし、彼女をたしなめるハネットもおそらく、儀式に疑問を持ってはいるのだろう。しくしくと泣く選ばれし者エナを前にしての二人のやりとりは、霞んだ空のような不確かで先行きの見えない世界の中にある。それはまるで私達の暮らす現実のようでもある。このままでは何も答えは出ず、陽の光は届かなくなってしまうだろう。
『波の花』わが道を行って出ていってしまった「なみさん」との思い出をたどるように出た小旅行で、「あたし」の鞄に入り込んできた黒猫。「さっきから静かな鞄にはおかしなことにその気配がない」、黒猫死んでないといいなと思ったら斜め上を行く展開で思わず笑った。きっと、「あたし」がなみさんを応援できるように、不思議な力が働いたに違いない。別れと出会いの話、温度感がちょうど人肌ぐらいで心地よかった。
エッセイ『ハリー先生と私たち』は、病院の緊急呼び出しコール「ハリーコール」の話。私も実際その場にいたら筆者と同じようにDr.ハリーを想像しただろう。続く療養の制約と図書室の様子。今もどこかの病院でハリー先生が呼び出され、人は病と人生とに向き合っているという締めくくりに、自分の視界が広がっていく感じを覚えた。


瀬戸千歳さん

 瀬戸さんも、校正グループが一緒で先読みさせていただいた。『光跡』は、死んでから親しくなった「麦野」と「私」の話。ドラマチックに描きたくなるシチュエーションを淡々と、日常として描いている。生きていたときの唯一の繋がりである映画を見たりして日常オブ日常なんだけど、落ち着いた文体に眩さを感じる。麦野が歩くときの擬態語「ほたほた」が好き。その足取りから光が溢れこぼれて光跡になっていくような感じがした。
『巡礼』は、こちらも死と共に在るお話。クジラに祈りを捧げていた「兄」がなぜ死んだのか、説明はない。「私」は、クジラの死体を見つけた日の兄を想像で埋めようとするが、うまくいかないと言う。その奢りのない謙虚さが好き。だって、亡くなった人を想像で補って自分の意のままに、いい人・いい思い出にしてしまうことは、よくあることだから。それ以上知られることのない死者と、真摯に共にある物語だと思った。
 エッセイ『黄色に沈む』は、かつて暮らした商店街の思い出について。私が知っているあの商店街かな、と思ってしまう。グーグルで昔の街を調べると面影がなくなっているという経験も、多くの人に心あたりがあるだろう。実際に黄色かったかは別として、このエッセイを読んだあとタイトルを振り返ると、自分の知る商店街が黄色に沈んでいるから面白い。細部に渡る描写がせつなさを呼び起こす。


 ということで、赤盤23名70作品。
 頒布中に感想書こうと思っていたんですが、一時期、文章が全く読めなくなってしまって(字面を追うことはできるんだけど)、一旦離れた。紙の本の良いところは、こういうときに手を離さないで済む安心感だと思った(ずっと持ち歩いていた、お守りのように)。ここ数週間、ちょっと読めるようになってきて、再開した次第です。現在は完売とのことでこの感想はおもに執筆された方や、私のためのものとなります。(※オカワダさんのBASEでは完売だけど、2022.12.16現在『犬と街灯』さんではまだ残部あるそうです)
 さて次は青盤につづ……くといいな。終わり。