わたしのペンは何を救うのか

「『救う』という態度は傲慢だ」
と言われたことがある。
そこに上下関係・強者と弱者を読み取れば、確かに傲慢さを感じなくはない。
それに続いて、
「『寄り添う』が対等だ」
と言う。

『寄り添う』だけで解決する問題はある。
当人に、立ち上がる力が残っている場合だ。
それは理想の人間関係だ。
しかし立ち上がることができず、
まして生きていくのに精一杯で、
いや、自分が生死すらはっきりと認識できないようなひとには、『寄り添う』だけじゃ足りない。

そんな場合に『寄り添う』のは、見殺しにするのと同じだ。

そして、そんなひとは案外近くにいる。
ひっそりと、ただ呼吸をしている。

わたしのペンで何が救えるだろうと考えてみる。

孤独死の老人を、
絶望に沈む若者を、
虐待される少女を、

救うことはできない。
寄り添うことはできたとしても、ペンを捨て手を伸ばさなければ、救うことはできない。

「そもそもかれらは、『救われたい』と思っているのか?」

それは当事者に聞かなければわからない。
聞いても、ほんとうのことはよくわからない。
それでも聞けば少しはわかるかもしれない。
絡まった糸をほぐしながら、それでいて毅然と大胆に、
わたしはペンを捨てて、手を伸ばして、そこにある手を握るべきなのかもしれない。

わたしのペンが救うのは、わたしだけだった。

わたしはそれを、ひどく空々しいと感じている。

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