夜を掬う —宵闇の、溢れて朝[序章]—

カテゴリ:SF, ファンタジー, 読み物

投稿日:2019-06-24

ここは東の最果て。切り立った断崖の遥か下に、白い波が現れては消える。この高さだけをみても、大昔、身投げの名所だったという話は理解できる。ましてや、満月の夜ならばその遺体は人魚に弔われるのだとか、波間に顔を出す海竜の餌食になるのだとか聞けば、死をロマンティックな誘惑だと感じる者も少なからずいたであろう。

しかしそれも100年前までのことだ。
100年前、”革命の夏”を生き延びた数少ない人類は、2つの生き方を迫られた。ひとつは、AI兵士”ARs”が統治するテクノロジーと消費の社会で暮らす”持てる者”。もうひとつは、遺伝子操作クローン兵士”リライ”が群れる、自然と再生の社会で暮らす“アーシスト”。
読者諸氏もご存じのように、いま人類は、自らが生み出し、自らの代理で戦わせた彼らに保護されている。『希少種だから』と、安楽で単調で、自由な行動を制限された生き方を強いられている。そのどちらにもなれなかった、なりたくなかった者は、”ARs”のようにシャットダウンができない。”リライ”の為に開発された安楽死薬『宵煌散』を使うことも許されていない。
追い詰められた人類が逃げ込んでいくのは大抵、ならず者たちの集う町だった。世界に点在するそのような街の中でもひときわ大きい地域が、戦禍によって荒廃した砂漠地帯に存在する。
その砂漠地帯を南へ下った処にあるにぎやかな商業地をつなぐ高速道路は、昼も夜も途切れなく、大型自動運転トラックが”持てる者”の荷を運ぶ。
並走する街道には、これは朝焼けから日暮れまでのみ、“アーシスト”が手綱を握る馬車があくせくと上り下る。
その幹線の一部を一辺として、海へ向かって三角形に突き出た形のこの地域が、私の訪れている《クロスデルタ》である。
中心部は、酒場や闇市、屋台、宿屋が集まっており、夜に活気づく。店の資本に拠ってきらびやかなビルであったり、土壁にガス灯の平屋であったりする、奇妙な繁華街である。それはこの世界で唯一、雑交が赦された(といっても黙認のような形であるのだが)街であった。

その最奥、東の突端にある古いレンガ造りの”湯あみ処”に、私は居留することにした。
(旅行記を書くのであれば、静かな宿屋か管理されたホテルの方がふさわしいのではないか、と読者諸氏は考えるかもしれない。しかし待ってくれ。我々は人生を、静寂の、規律の、合理の中に置きたいと思うだろうか? 我々が望むのは、喧騒で、自由で、混沌な喜びではないのか? だったら私は、この”湯浴み処”を選ぶ。まずはここから、始めさせてほしい)

この店は、夜にそのロッジの屋根から見下ろす漆黒の竜の姿から《黒竜館》とも、そこに待つ娼婦の名から《メラクの部屋》とも、男娼たち目当ての客からは《双子のアレ》とも呼ばれていた。
しかし、その娼館の経営者であるグランマーーと呼ばせてはいるが、性別は不明ーーによれば、
「名前なんてなんでもいいのさ。だって例えばさ、たった一週間やそこら泊まってこうやって旅行記を書いているお前さんが知ってるこの婆と、50年も好い仲やってるカタリアーナ灯台守のスハ爺が知る夜の婆とが同じ名前である必要はなかろう?」
ということなので、諸君、我々はそこをどう呼んでも構わないそうだ。

自己紹介がまだであった。私は”ARs”所属の言語処理プロセッサだ。ヒト型端末をコントロールし、情報を集めたうえで報告書を作成することを生業としている。今回の旅行記は特異なミッションであり、読者諸氏に楽しんでもらうこと、そして無法地帯《クロスデルタ》について、諸君らと(”ARs””リライ”に関わらず)情報共有することを目的としている。

前書きはこれくらいにして、これがエンターテインメントとしての旅行記だと仰々しく宣言することにしよう。

《クロスデルタ》あらゆる異質が交雑する街
我々の手帳に、ひとびとの姿を記録せよ!!

(2015年4月 初出 2022年8月改稿)